ご挨拶

Greeting

プリスクールで楽しく英語を学べる機会を提供し
お子様がより豊かな人生を歩むお手伝いをいたします。

この度は当スクールのホームページをご覧いただきまして誠にありがとうございます。

Pan International Academie Denenchofuは、わが子に「この多摩川周辺の自然豊かな環境の中で 元気に遊ばせながら幼児期に英語で様々な経験をし、より選択肢の多い人生を歩んでほしい」という 親の願いの実現としてこの多摩川駅前の地に2008年7月に設立いたしました。

知的刺激と英語での教育環境で英語が自然に身につく

人格形成をしていく上で大人になるまでのプロセスはとても重要です。 幼児期のうちに豊かな情操をはぐくみ、さまざまな知的刺激を与えていきたいと考えております。当園の大きな特徴である、多くの場所へ出かけ屋外での活動を長く設けている理由はこれらが五感と身体感覚を鍛えるのに大変有効だからです。最近では追跡調査により小、中学生に成長した時の学習意欲や学習態度にも大きく影響することが分かっています。屋外での活動が乏しい子や無機質な生活をしている子は物事を具体的に理解するのに時間がかかる傾向にあります。ひとは人工的な空調が効いた室内や変化の無い空間に居ると刺激が少なく暑い、寒い、広い、狭いといった肌感覚、空間認識や身体感覚が育ちません。やがて様々なことに興味を示さなくなります。それは子供が体験したことや見たものでないとイメージ出来ず知識が入りづらい傾向にあるからです。その為私共では幼いうちから多くの場所へ出かけ、なるべく自然や生物に触れグループで元気に遊ばせてあげたいと考えております。

当園ではこれらに加え教育環境を英語とすることで、子供たちがいつの間にか言語を自然に身につけることができる環境を提供しています。

有意義に楽しく学べることを最優先に子どもたちに接します

日本は世界一の長寿大国です。しかし老齢期に入ってからの人生が長くなる一方で相変わらず与えられた貴重な幼少期はそれほど長いわけではありません。限られた時間の中で、いかに有意義にそして楽しく学べる日々を提供できるかを絶えず考え、わが子に接すると同じく一人一人しっかりと子供たちを見つめ接して参ります。

最後に英語幼児園をご検討されている皆様へ。ぜひ一度当園へご来訪いただき自立している我が幼き生徒達、指導力の優れた講師達を実際にご覧いただけましたら幸いです。これをもちまして代表の挨拶とさせていただきます。

更にお時間がございましたら、「英語幼児園を設立するに至った経緯」もご一読ください。

Pan International Academie Denenchofu
代表 川村 治美

英語幼児園を設立するに至った経緯

今年で26歳を迎えた長女が7歳だったある日、私に何気なく「ママ、私は別に幼稚園に行かなくてもよかったね。」 と言った言葉は衝撃的で今でも忘れることができません。なぜならばそれは私も長女が言うまでもなくすでに日本のいわゆる普通の幼稚園に彼女が在園中から気付いていたことだったからです。人の親と初めてなりアイデアのない当時の私にとって何の疑問も持たずに日本の幼稚園へ進むことは至極自然のことでした。

伝統ある幼稚園に入園して覚えた後悔の念

長女の通う園は寺が母体の比較的歴史と伝統のある幼稚園でした。 立派な制服に園舎、下駄箱付近のエントランスではいつもクラシック音楽が流れ保護者用の12台程停められる駐車場まで完備されている幼稚園です。年中で入園して1年ほどはこんな立派な園に入れてよかったと当の本人よりも親の私の方が満足をしていた次第です。ところが翌年、幼稚園での娘の生活実態を知ることとなりました。娘が年長に上がった年、縁あって私が幼稚園執行部の役員に抜擢されてしまい週に3.4回幼稚園へ通い仕事をする羽目となってしまったのです。ただしこれにより幼児教育の必要性と重要性がいかに大切かを考えさせられるきっかけとなりましたので今となっては逆に感謝しなければとも思います。

晴れて?執行部役員となった私は園で毎月発行する保護者向け新聞の記者となり園児たちの取材、主に写真を撮り新聞を作成する仕事をすることとなりました。必然的に園児たちと行動を共にし写真を撮らなければなりません。日々彼らとともに過ごすうちに私は心が穏やかではなくなっていきました。すぐにどうしてここに娘を入園させてしまったのだろうと後悔の思いでいっぱいで娘に申し訳なくこまたこれまで費やした時間や費用を思うと何とも言い難い敗北感にも似たような感情に襲われていきました。

幼稚園の教育内容への違和感

私が目にした娘の園生活は教育施設で教育を受けているのではなく幼稚園という名のフリープレイ場でただ遊んでいるだけのようでした。おかしいな?文部科学省管轄の施設なのにこれは一体どういうことだろう? それを初めて目にしてたまたま今日だけなのだろうと自分に言い聞かせながら翌日も行きますとやはり同じ毎日です。ロスタイムが多く新たに何かチャレンジすることもなく、また宗教色も強い園でしたのでお祈りをしているかフリープレイかという園の印象は今でも長女とともに同じです。

残念ながらこのようなスタイルで運営されている幼稚園は日本においては未だにスタンダードです。
当時の私たちにも転園や退園という選択肢もありましが、間もなく次女を妊娠しつわりが毎日(結局陣痛が始まる3時間前まで毎日嘔吐しておりました。)の身と今年限りで卒園だからという思いとで娘に申し訳なくも自分の体調や便利さを優先し、結局そのまま卒園するまで通園させてしまいました。降園後は幼稚園や家庭では不十分な部分を補うために週2回計4時間の英語、週1回のブレイントレーニングセンター、週3回のバレエ等の習い事や学習のフォロー、送迎等で子供よりも自分の都合を優先したにも関わらず結局身重の自分の首を絞めるような生活となってしまいました。

見つけることができなかった理想の園

時を同じくし田園調布の町に引っ越しをして長女の卒園一週間前に誕生した次女のための園探しがスタートしました。 次は長女のときと同じ失敗をするまいと意気込んで主に世田谷区や大田区の園を見学しはじめましたが、先に述べたようにバランスよく教育しているところはなく長女が通っていたのと同じような内容の園が多かったため日本の幼稚園は諦めました。

そこで長女が生まれときにこれからの子供たちには私のコンプレックスでもある英語だけは習い事の枠を超えて与えてあげたいと思ったこともあり英語幼児園、保育園を探し始めました。23区はもとより横浜市、川崎市、遠くでは埼玉、千葉、茨城県まで見学に行きましたが私が理想とする英語、遊び、学習、集団、個別、室内外、先生のバランスのいい園を見つけることは出来ず思いだけが空回りしているような状態でした。いくつか気になる園はできたものの、入園という具体的な話までは辿り着けませんでした。

次第に理想の幼稚園・保育園を自分で運営することを考えるようになる

次女が1歳を過ぎたころには言葉を少しずつ話すようになり、ますます私の焦りは深刻になっていきました。 預けなければならない家庭の事情や別に義務教育でもないのに、自分はなぜ園探しをして、そこに娘を預けようとしているのかを今一度考えてみました。 すると頭の中で、先に述べたような理想をバランスよく提供している園は、現実にはないのです。そのあたりから沸々と自分だったらこうするのにとか、ああしたいとか欲がでてきてしまいました。 そこで、意を決して自分が理想とする園を自分で運営しようと思い設立に向け2006年に準備を開始致しました。

二人の母になったことが原動力の源

まずは今の幼児英語教育を知るために日本で活躍されている外国人の先生たちとコミュニケーションを図るべく自宅に呼び英語サークルを始めました。 実はその頃の本来の私の目的は先生のスカウトでしたが、週末に小学生向けの英語サークルを実験的に始めるきっかけともなりました。雨天ではない限りさまざまなアクティビティを外国人の先生が英語で行うのですが、アイデアの研究と共に具現化でき、現在でもその頃の経験が役に立っています。

役に立っていると言えば若いころの保育園や養護施設での実習。嫌々習っていたピアノ、海外での生活、10年間練習したフィギュアスケート、ナレーター養成学校、コンプレックスの英語。他にも色々ございますがすべてが今必要なキャリアとして私を支えてくれています。
ただ、一番大きな影響は二人の子の母になったということです。私の原動力のほぼ全ての源は子供達の存在です。近所の公園の場所すら知らなかった自分が母になったということで、初めて幼児を取りまく教育や環境を真剣に考え、英語保育園を立ち上げる機会を与えてくれました。

2008年7月1日に当時多摩川駅徒歩2分の場所に英語幼児園(プリスクール)を設立するに至りました。更に2年後に多摩川駅前の現在の場所に移って参りました。おかげ様で熱意のある外国人講師達、幼き生徒達、そして支えて下さる保護者の皆様たちに囲まれながら、日々忙しくさせて頂いております。

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